(※済生会では、「恩賜財団(おんしざいだん)」を一行に書かずに、恩賜財団組み文字表記 と二行に分けた組文字にしますが、このホームページでは、コンピュータの特性上文字修飾が困難なため、本来の組み文字とせずに一行で表わしています。)
済生会小史
明治44年(1911年)2月11日、明治天皇は、時の総理大臣 桂太郎を召されて「恵まれない人々のために施薬救療(無償で治療すること)し、済生(生命を救済すること)の道を弘めるように」との済生勅語に沿えてお手元金150万円を下賜されました。桂総理はこの御下賜金を基金として全国の官民から寄付金を募って同年5月30日に済生会を創立しました。 以来今日まで、政治・経済・社会情勢の変化に伴い、存廃の窮地を乗り越えるなど幾多の変遷を経ながらも、済生会は創立の精神を引き継いで保健・医療・福祉の充実・発展に必要な諸事業に取り組んできました。 戦後、昭和26年(1951年)に公的医療機関の指定、同27年(1952年)に社会福祉法人の認可を受け、現在社会福祉法人恩賜財団済生会となりました。
済生会の紋章について
社会福祉法人 恩賜財団 済生会 WEBサイト
沿革
済生会千里病院の設立経緯には千里ニュータウンの歴史が大きく関わっています。1960年代前後、日本は高度経済成長期にあり、都市に集中する人口と住宅事情が大きな問題になっていました。それを改善すべく大阪府吹田市の千里丘陵を開発して1962年にできたのが千里ニュータウンです。1970年には現在の万博記念公園を会場に、世界中から6400万人が集まる大イベントである万国博覧会が開催されたことからも当時の賑わいぶりがうかがえます。
この千里ニュータウン地域住民の健康管理体制の確保と組織的な公衆衛生活動を担うべく大阪府と大阪府医師会・歯科医師会・薬剤師会(三師会)の協力で1967年に開設されたのが済生会千里病院の前身である大阪府保健医療財団 新千里病院です。当時、日本ではまだ珍しかったオープンシステムを採用するなど先進的な病院でした。
1979年には、日本初の独立型三次救急医療機関である大阪府立救命救急センターが新千里病院の隣に開設されました。同センターも数々の新規事業を行いましたが、中でも1993年、病院から医師・看護師が同乗し、重篤な救急患者のもとに出動するドクターカーの24時間365日運用を日本で初めて開始したことは当院の救急の伝統を語る上で欠かすことはできません。
しかしその後、府の財政悪化の影響を受けて新千里病院は社会福祉法人恩賜財団済生会に移譲され、2003年4月1日、社会福祉法人恩賜財団 大阪府済生会千里病院となりました。社会福祉法人として生活困窮者への医療「無料低額診療事業」を開始、2004年からは大阪府立千里救命救急センターの管理運営事業を受託し、同センターは、2006年に済生会千里病院の救急部門として併合されました。
変化する新しい時代に対応すべく、2007年7月1日新病院オープン、オーダリングシステムの稼働、2008年(財)日本医療機能評価機構による病院機能評価(Ver.5.0)認定(現在は2019年病院機能評価審査:機能種別版3rdG:Ver2.認定更新)、2009年DPC対象病院認可、電子カルテ導入、2010年大阪府がん診療拠点病院として認定、2011年地域医療支援病院の承認、2012年NPO法人卒後臨床研修評価機構による卒後臨床研修病院認定と次々に病院機能の充実が図られました。また2015年には災害管理棟がオープンし、災害拠点病院としての機能が整いました。さらに2016年には訪問看護ステーションを開所しています。
当院は329床の総合病院として、新千里病院時代から培ってきた登録医制度など、地域の中核病院としての役割を担うとともに、一次から三次救急まで対応できる救急医療体制を構築しています。「心のこもったチーム医療を行う」を理念とし、誰もが気軽に一流の診療を受けて頂くことができる「下駄ばきで来れる一流病院」、かつ「救急の最後の砦」として、これからも地域の信頼に応える医療の充実を図っていきます。